〜守る文化が生んだ「投資アレルギー」とこれからの生き方〜
第1章 投資が“悪”になった背景
日本人の多くが「投資=危険」「借金=悪」と感じている。
けれど、これは本来の日本人の価値観ではないと思う。
第一次世界大戦前までは、投資や商売はむしろ“挑戦する人の誇り”だった。
しかし、第二次世界大戦を前にして、世界がブロック経済化し、
日本でも「節約・貯金こそが美徳」という思想が広まった。
戦争を支えるために、国民にお金を出させる必要があった。
そのため「倹約は愛国」「贅沢は敵」というスローガンが国民教育として浸透した。
戦後もその価値観は消えず、
「借金は悪」「投資は危険」「貯金こそ安全」
という考え方が“常識”として残ってしまった。
ただ、当時の“貯金信仰”には理由もあった。
高度経済成長期の日本では、銀行預金に**年5〜7%**もの金利がついていた時代もあり、
預けておくだけでお金が増えた。
だからこそ「投資なんてしなくても十分」という意識が、
そのまま正しい常識として定着してしまったのだ。
しかし今の時代、預金金利はほぼゼロ。
同じ“貯金”でも、当時と今では意味がまったく違う。
それでも価値観だけが残り続けているのが、
日本人が資産形成に遅れた一因だと思う。
第2章 戦後日本が作り上げた「守りの文化」
戦後の日本では、団塊の世代を中心に、
“働けば報われる時代”があった。
朝から晩まで働き、貯金をし、
退職金をもらい、年金で老後を過ごす──。
それが「理想の人生」とされていた。
終身雇用・年功序列・右肩上がりの経済。
すべてが揃っていた時代だからこそ、
「会社に尽くせば未来が保証される」という信頼が成り立っていた。
しかし、少子化・高齢化が進む中で、
年金は不安定になり、終身雇用も崩壊した。
特に、小泉政権下で進められた構造改革は、
日本の働き方を大きく変えた。
派遣制度の拡大、非正規雇用の増加、
そして企業のグローバル競争。
これらは一見「効率化」に見えたが、
結果として「安定して働ける時代」を終わらせた。
さらに、外国人労働者の導入や補助金政策によって、
企業にとって“人件費の安い労働力”を確保しやすくなった。
これは経営者側に有利に働いた一方で、
一般の働く人の生活は不安定になっていった。
世界的なグローバリズムの波が、日本の雇用構造を変えたとも言える。
それでも、海外では働く人が「自分の専門性=自分の職業名」で語るのに対して、
日本ではいまだに「サラリーマン」という言葉で自分を定義してしまう。
会社に所属していることが“自分の価値”になっている。
これは、戦後の教育と社会構造が作り上げた「守りの生き方」だ。
けれど、私は日本人の勤勉さ・誠実さ・組織力は世界でも誇れる資質だと思っている。
問題は、それを**「自分の資産」や「自分の信用」に転換できていないこと。**
“守るための努力”を、“自分を育てる投資”に変える。
それが、次の時代に必要な考え方だと思う。
第3章 国が投資を押すようになった理由
かつては「投資は金持ちのもの」だった。
ところが今、国はNISA(ニーサ)やiDeCoを通じて、
国民に積極的に投資を促している。
なぜか?
理由はシンプルで、年金制度が限界にきているからだ。
日本の社会保障は、人口増と経済成長を前提に作られた。
今はその前提が崩れている。
支える人が減り、支えられる人が増え、
制度そのものが持たなくなりつつある。
だから政府は、「自分の老後は自分で守ってください」と
“自己責任型の生き方”を求めるようになった。
もう一つの背景は、
2000兆円もの個人資産が銀行預金で眠っているという事実。
国はそのお金を動かし、経済を回す狙いがある。
つまり、投資推奨政策は
「国が年金を維持できない現実」と
「眠る資産を動かしたい思惑」
この二つが重なった結果だと考えられる。
ただ、NISAは“国の思惑”であると同時に、
個人にとってのチャンスでもある。
制度を理解し、正しく活用すれば、
利益が非課税になるという大きなメリットがある。
しかし、知識のないまま飛びつけば、
「儲かる」と聞いて始めて「損する」人も出てくる。
要は、チャンスとリスクは表裏一体ということだ。
これからの日本は、
円安・物価高・株高が進み、
しかし賃金は上がらないという“ねじれた経済”に突入する可能性がある。
いわゆるスタグフレーション(物価上昇+賃金停滞)。
この状況を生き抜くには、
- 円以外の通貨で資産を持つ(ドルなど)
- 不動産など実物資産を保有する
- 投資を「生活防衛の手段」として捉える
ことが欠かせない。
投資は金儲けのためではなく、
“生き残るための盾”である。
🐾 フクちゃんのひとこと
「投資は怖くないニャ。
勉強してから動けば、未来を守る味方になるニャ!」
💬あとがき
「貯金すれば安心」と言われた時代は、もう終わりました。
けれどそれは“危険な時代”という意味ではなく、
“学べば強くなれる時代”ということだと思います。
知ること、考えること、動くこと。
それこそが、これからの日本人が本当に豊かになるための第一歩です。


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